最新を追うのを、やめた
最近、AIの最新モデルを追いかけるのを、やめた。
少し前までは、新しいモデルが出るたびに気になっていた。どれが一番賢いのか、どれに乗り換えるべきなのか。でも、AIの進化のスピードが、とにかく半端ない。追いついたと思ったら、もう次が出ている。完全にイタチごっこだ。
しかも、追ってみると、どれもそんなに変わらなくなってきた。一番を競っていたはずが、横一線になっていく。
これはAIに限らないな、とも思う。新しい技術が出るたびに乗り換えてきたけれど、技術はどれもいつか古くなる。追いかけても、また次が来る。追うこと自体には、終わりがない。だからもう、そこで競うのはやめようと思った。
断っておくと、AIを使うのをやめたわけじゃない。仕事では今も毎日使っている。むしろ前より使っている。やめたのは、「どれが最新か」を追いかけることの方だ。
その代わりに何をしているかというと、人に会っている。
毎年ゴールデンウィークの時期に、1週間ほど東北に行く。昔住んでいた場所で、会うのは当時からの仲間たちだ。今年も行ってきた。
その中の一人に、今はシンガポールに住んでいる子がいる。ちょうど一時帰国していて、久しぶりに会えた。
一緒にごはんを食べていて、「日本、安くてうまいっす」と言いながら、値段もほとんど見ずにガシガシ注文している。あ、稼いでるんだな、かっこいいな、と素直に思った。
話していて、印象に残ったことがいくつかあった。
ひとつは、シンガポールには文化がない、という話。きれいで便利で発展しているけれど、その分、積み重なってきたものは薄い、と。住んでいる人が言うと、重みが違った。
もうひとつは、日本のいろんな表示を、無理に海外に合わせなくてもいいんじゃないか、という話。日本語で書いてあること自体が、日本の良さなんじゃないか、と。
正直、私はそんなふうに思ったことがなかった。日本語の案内は海外の人には不便で、英語を増やした方が親切なんだろう、くらいに考えていた。
その子が正しいのかどうかは、わからない。でも、外から日本を見ている人には、私に見えていないものが見えているんだな、とは思った。
人は結局、自分がいるところを基準にして物事を見ている。私が「英語を増やした方が親切」と思っていたのも、私が立っている場所からの見え方でしかなかった。
ここまで考えて、気づいたことがある。
最新を追うのと、見える範囲を広げるのは、別の動きだ。
最新を追うのは、「新しいか、古いか」という一本の物差しの上を、上へ上へと動くこと。物差しが一本だから、それより上か下かしか見えない。そして、画面の中で完結する。
見える範囲を広げるのは、物差しそのものを増やすこと。それは、自分の外に出ないと手に入らない。東北に行って、外から日本を見ている仲間に会って、その場で聞くしかなかった。
追うのは、終わらない。広げるのは、終わりがない代わりに、確実に積み上がる。私は、追う方をやめて、広げる方に時間を移すことにした。
私は、日本の中はわりとフラフラ動いている。でも、海外には全然行けていない。一番、見える範囲が広がるはずの方向に、まだ出られていない。
だから、まずは海外かな。今年こそ。