仕組みの手前にあるもの
今、いくつかの仕事を同時にやっている。
大企業のプロジェクトマネジメント。中小企業の業務改善。自分のプロダクト。
大企業では、関係者が多い。意思決定のラインが長くて、誰がどこで何を握っているかを把握するだけで一仕事だ。中小企業では、社長と直接話す。関係者も少ないし、意思決定が早い。現場の困りごとを聞いて、そのまま仕組みに変える。自分のプロダクトでは、自分の中にあるものを言語化して、形にする。
求められるものは、一緒のようで違う。違うようで一緒だ。
全部レイヤーが違うのに、共通する何かがあるはずだ、とずっと思っていた。
過去に、PM専門の会社で会社員をしていた。
クライアントのプロジェクト推進を支援する会社で、私自身はPMとして現場に入っていた。会社としてはもう一つ、別のことをやっていた。
「プロジェクトの知見を、組織の資産にする」という仕事だ。
業務が属人化して、ノウハウが共有されない。担当者が抜けたら、やり方がわからなくなる。どの会社でもある話だ。それを、プロセスの型化やナレッジ共有の仕組みで解消しようとしていた。
当時は「なるほど、仕組みって大事だな」くらいにしか思っていなかった。
でも、仕組みの手前に、もっと大事なものがあるんじゃないかと引っかかっていた。
そのモヤモヤで色々調べているうちに知ったのが、SECIモデルだった。
提唱したのは野中郁次郎という経営学者で、富士電機で9年働いてからアカデミアに行った人だ。アジャイル開発の「スクラム」の理論的な源流にもなっている。2025年1月に亡くなった。
SECIモデルを教科書的に説明しようかと思ったけど、やめた。野中先生本人がほぼ日の連載(※)で喋っているのを読んだら、そっちのほうが何倍もわかりやすかったからだ。
野中先生はほぼ日のインタビューでこう言っている。
「人にとって、世界の本質は『量』より『質』。重要なのは『数値』や『事実』よりも、『意味』であり『感覚質(クオリア)』」
私がレイヤーの違う仕事を横断しながらずっと引っかかっていたのは、たぶんこれだ。数字とロジックで整えた仕組みの手前に、もっと大事な「質」がある。でもそれは数値化できないから、会議の議題にも載らない。
SECIモデルは、組織の中で知識がどう生まれ、どう広がるかを4つのフェーズで説明する。共同化(S)→表出化(E)→連結化(C)→内面化(I)。暗黙知を身体で共有して、言葉にして、組み合わせて、また身体に戻す循環だ。
一番大事なのは、この循環の起点に「共同化」、つまり言葉にならない暗黙知の共有が置かれていること。
野中先生は共同化についてこう言っている。
「言わず語らず、暗黙知が共有されているわけです」
正直に言うと、私の今の仕事に、こういう共同化はほとんどない。基本は全部リモートで、チャットとスプレッドシートと議事録、つまり形式知で回っている。
ただ、ゼロでもない。打ち合わせ中に「ちょっと今の画面送ってもらえますか」とキャプチャを投げてもらう瞬間とか、初回だけは会社にお伺いして、現場の空気を見にいく、とか。細い線で、Sのチャンネルは開いている。
個人的にはもっとお伺いの場を増やしたいと思っている。たぶんそれは、形式知だけでは拾えないものがあると、身体でどこかで感じているからだ。
もう一つ、野中先生が何度も言っているのが「相互主観」だ。
「会った瞬間に起こる」
これはたぶん、もっと身体的な話だ。同じ部屋にいて、会った瞬間に無意識で共感が起きる、みたいな。私の仕事はそこまではいけない。
でも、組織横断的に動いているとき、近い何かが起きる瞬間はある。私が直接やりとりしているのはある部署の担当者で、その人の先にはまた別の人がいる。最初は「担当者さんの困りごと」として聞いていたことが、話しているうちに部署全体の話になり、気づくと私の中で「我々の案件」になっている。主体の境界が、完全には溶けないけど、少し滲む。
野中先生の言う相互主観とは、たぶん少しずれている。でも、リモートで組織横断しながら働くときに起きる「滲む」感覚を、野中先生の言葉を借りて眺めると、少しだけ輪郭が見えてくる。
ここでAIの話になる。
SECIの4つのフェーズで考えると、AIが圧倒的に得意なのはC(連結化)だ。形式知と形式知を組み合わせて、新しい形式知を作る。データ分析、文書作成、パターン認識。ここはもう人間が勝てない。
私が今やっている業務自動化の仕事も、まさにクライアントのCの領域をAIやツールに置き換えていく作業だ。請求書の処理、データの集計、レポートの生成。形式知の連結。
E(表出化)もAIが部分的に侵食し始めている。「なんとなくこうしたい」をAIに壁打ちして言語化する、みたいなのがそれだ。この記事だって、Claudeとの会話の中で考えが整理されていった。
I(内面化)は、結局人間が身体で実践しないと起きない。マニュアルを読んだだけでは身につかない。やってみて初めてわかる。
そしてS(共同化)は、原理的にAIが入れない領域だ。
AIはテキストという形式知を入力として受け取り、形式知を出力する。「文脈に入る」「場を共にする」ということが、原理的にできない。野中先生の言葉で言えば、「会った瞬間に起こる」共感の側には、永遠に立てない。
つまり、AIが形式知の処理を高速で回せば回すほど、ボトルネックは「そもそも良質な暗黙知を掴んで、形式知に変換する入口」に移る。
S→E。現場に入って、まだ言語化されていないものを掴んで、言葉にする。ここが、人間の仕事として残る。
最近、オンライン会議で画面オフの人がいると、なんとなく気になることがある。
うまく言葉にできなかったけど、たぶんこれも同じ話だ。
でもカメラオンなら、表情の変化、うなずきのタイミング、ちょっとした沈黙の質。言語化される前の暗黙知が大量に流れている。
画面オフの会議は、Sのチャンネルが閉じている。暗黙知を共有する「場」が、そもそも成立していない。
出社回帰の流れも、たぶんこれだと思う。
リモートでも形式知の伝達は完全に回る。会議、ドキュメント、チャット、全部できる。Cの効率はむしろ上がった。でも2〜3年経って「なんか足りない」と多くの企業が感じ始めた。新人が育たない、チームの一体感がない。
それはSの欠如だ。廊下ですれ違ったときの雑談、隣の席で聞こえる電話の内容、ランチで出る愚痴。意図せず共有される暗黙知のチャンネルが、全部なくなった。
面白いのは、経営者が「出社しろ」と言うとき、その理由をちゃんと言語化できている人がほとんどいないこと。「コラボレーションのため」「文化の維持」みたいなふわっとした言い方になる。
でもそのふわっとした感覚自体が正しくて、言語化できないこと自体が、問題の本質を証明している。「出社で得られる価値」そのものが暗黙知だから、形式知では説明できない。
AIに形式知の処理を渡せば渡すほど、人間の側に残る不可代替な価値が浮き彫りになる。
身体で文脈に入って、暗黙知を掴む力。
私がレイヤーの違う仕事で毎回やっているのは、たぶんこれだ。大企業では組織の暗黙知を、中小企業では現場の暗黙知を、自分のプロダクトでは自分自身の暗黙知を。規模も粒度も全然違うけど、やっていることの構造は同じだった。
S→E。掴んで、言葉にする。
PM専門の会社にいたとき、「仕組みの手前にあるもの」が何なのか、うまく言えなかった。今なら少しだけ言える。
仕組み化(C)の手前には、誰かが五感で拾っている何かがある。空気の温度とか、会話の間合いとか、机の上に置かれた書類の雑然さとか。私自身はリモートが中心で、そこに毎回立ち会えているわけじゃない。
仕組みは、立ち会わなくても作れる。でも、その層があることを蔑ろにしないかどうかで、できあがる仕組みに宿る熱量みたいなものが変わる気がしている。そして、この「掴む力」は身体のコンディションに依存する。その話は、次に書く。
(※) ほぼ日刊イトイ新聞「野中郁次郎さんに聞く。」全9回連載